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多分昔の日本の都会の雰囲気⁉︎ビシュケクのバザール。
早朝からビシュケクのバザールを散策。市場に溢れるのは活気と生活感。
バザール付近の出店はみんな開店の準備中。
飲食店はもうやっている。
いい匂いにつられて店に入る。
ビシュケクの下町の朝食、うまかった。
キルギス最大の市場「オシュバザール」
バザールはだだっ広く、 エリアごとに区切られていた。
それぞれ、肉コーナー、魚コーナー、野菜コーナー、雑貨コーナーといった感じだ。
そしてそこに人が集まり活気が溢れる。
日本で市場というと築地市場とか豊洲市場を思い浮かべる。
魚の市場だ。
または青果市場なんていうのもある。
野菜や果物の市場だ。
ただここに一般のお客さんはあまり来ない。
スーパーや飲食店の人が買い物に来たり、トラックに積んで配達したりする。
市場の中はフォークリフトが行き来する。
といった状況だろう。
しかしここビシュケクの市場は一般の人もたくさん買い物に来ている。
そして売り物をリヤカーなんかで運んでいる人を多く見かける。
出店は個人の出店の様で、日本の屋台の様な感じだ。
スーパーなんかがまだ無かった時代の日本人も、こんなような所で買い物したり働いていたんだろうなと妄想する。
オシュバザール
豪快な肉の売り方を見て感じた日本のスーパーの盲点。
売り物の中で日本スーパーなどと大きく違う形態で売り出されているものがあった。
それは肉だ。
肉コーナーには牛や羊のデスマスク(頭部)がバンバンおいてある。
また皮を剥がされ、理科室の人体模型のようになった羊が店頭に並んでいる。
日本の生活に慣れている者には、なんだかグロテスクだったりかわいそうに思えてしまう。
だけどこのような売り方のほうが、命を頂いているという実感や感謝の心が自然と湧くような気がする。
逆にスライスされてパック詰めされた商品しか知らないと、それらがもともと命ある生き物であったこと忘れてしまうのではないか。
昔テレビで「命の授業」なるものをやっていた。
俺たちを生かしてる食べ物は、同じ生き物である動物の命の犠牲のもとに存在しているということを学ぶための授業だ。
そのためにわざわざ子豚から育てて、大きくなったら屠殺して食べるのだ。
豚に愛着を持った子供達は当然良心の呵責に苦しむことになり、またそれが学びに繋がる。
という趣旨の授業だ。
しかし普段からこのような市場で目の当たりにしていれば、命の授業で学べる事は自然と身につくのになと思った。
そしてこんな光景が昔日の日本にもあったんだろうなと、俺はさらに妄想していた。
本日の教訓
焼肉だって、しゃぶしゃぶだって牛さんや豚さんの命をいただいている。